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 祗園祭は、貞観11年(869年)に京都で疫病が蔓延し、その疫病退散を祈願して、旧暦6月7日に神泉苑に66本の矛を立て祭祀(し)を行い、14日には洛中の男が神輿を神泉苑に送って厄除けを祈った「祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)」を起源とします。
橋弁慶山は、牛若丸と弁慶が五条大橋の上で戦う姿をあらわしており、数ある義経の物語の中で謡曲「橋弁慶」を題材としています。
弁慶は鎧姿に大長刀を斜めにかまえ、牛若丸は橋の欄干の擬宝珠の上に足駄で立ち片足を曲げ右手に太刀を持っている。橋は黒漆塗で特に牛若丸の人形は足駄金具一本でこれを支えています。

狂言「鬮罪人(くじざいにん)で、室町期の町の人々がその年の祇園祭の趣向を相談する話で橋弁慶山と鯉山が登場し、当時すでに両山が存在していたことがうかがえます。
また、橋弁慶山は、古来よりくじ取らずで後祭の先頭を巡行してましたが、明治5年以降は北観音山が復興されたため、編成上の理由で次の二番目に巡行することになっています。舁山では唯一のくじ取らずの山で、また、巡行時のくじ改めの時、奉行の前で山をまわさず特別扱いになっています。
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