KYOTO GION-MATSURI
HASHIBENKEI-YAMA

お知らせ

平成26年度より「後祭山鉾巡行」が復活します

応仁文明の乱で長らく途絶えていた祇園祭が再興した明応9年(1500年)6月6日の鬮(くじ)順記録が「祇園社記 第15」にある。

それによると、6月7日の前祭の長刀鉾と同様に、旧暦6月14日後祭の巡行は「先規ニヨリ一番也 うしわか殿」橋弁慶山が応仁の乱前から後祭の先頭を務めていたことが伺われる。

明治になり先頭の位置を北観音山に譲り、このたび大船鉾の復興に依り平成24年から再び先頭を務めることとなった。そして、平成26年は昭和41年からの合同巡行を解消し、後祭は7月24日、橋弁慶山はその先導を務める。

現在、鬮取らずの山鉾は9基。前祭集合場所の長刀鉾・函谷鉾。巡行路の一部である新町通りの岩戸山・船鉾・大船鉾・放下鉾・南観音山・北観音山の8基の鉾・曳き山である。そしてお囃子もない小さな舁山の橋弁慶山である。橋弁慶山はなぜ鬮取らずで、しかも先頭なのか。定説はなく今も謎に包まれたままである。

巡行当日、鬮改めの奉行の前では「橋弁慶山通過します」の一言。舁いだまま正面を向け一呼吸。進行方向を向いてさっさと行く。ほかの山のように一回転などしない。

橋弁慶山は受け継いだ鬮取らずの矜恃を大切に後祭を牽引する。

 

●7月21日 お山建て ●7月24日 巡行

 

詳細は「日程と巡行」ページをご覧下さい。